食いしん坊

2009年8月19日 水曜日職員ブログ


2回目のブログです。

いつも先生たちの、ブログを読むのを楽しみにしていた私。

「どうしよう~話題がな~い」なんて声も聞こえていたのですが、「明日は、我が身」ってほんとですね。
それなので今回も、思い出話です。

 私は、小学校1年まで 長崎県佐世保市に住んでいました。ほんとうに何もないところで、家の、少し前に川が流れていて、そこが深い谷底のよう。

川幅は、5メートル位ですが川向こうに、大きな木々がそびえ、その葉が、川に、影を落としてさらに暗くて、上からのぞくと足が、すくんでしまいそばに寄れませんでした。

その川に、流れ落ちるちいさな川の向こうに、白つめ草やれんげ草が一面に咲いている原っぱが広がっていて、遊ぶためには、そこを渡らなくてはいけないのですが、そのたびに、流されて谷底に落ちたらどうしよう もう心臓が、バクバクしていたのを覚えています。

また夜には川底から、なにかでてきそうで、さらに怖さがまして

一人で、外にいけなかった気がします。

でもこわいのは家のまえだけで、下っていくと川は、楽しい遊び場。

流れは速くて 泳ぐことはできませんでしたが、川岸の大きな石を、ピョンピョンと 飛び跳ねてあそんでいました。(そのころは、細くて身軽でしたので・・) 

学校は、1時間ほど歩きました。原っぱや、田んぼばかりで、ときおり土手の上を蒸気機関車が、汽笛 を鳴らして通っていました。 

お店は、小学校のそばに文房具店が、一軒、家の、1キロ位先に何でも屋さんがあって、そこで売っている
ラムネジュースは、めったに飲むことの出来ない憧れの飲み物。

パイナップルアイスを、はじめて食べたときは大感動。そんなわけで今でもドーナツ型のパイナップルアイスを、見るとつい買ってしまいす。

それと保育園の前の公園の中に、駄菓子屋があって、たまにお金をもらってくじ付きニッキ紙を買い、口の中を、、赤や黄色に染めながらかんでいました。今思えば体に悪そうだし、あれこれ自分で、選んでいて不衛生でしたよね。それでいまだに、ニッキ好き。
特に八橋のおせんべいには、目がないです。

目がないといったものに、くじらのベーコンがあります。白く半透明なベーコン。その回りに赤いベーコンがついていて、これを酢味噌で食べるのが、

すご~くおいしかったです。今は、捕鯨問題で、口にすることができなくなって ほんと残念です。
それから、食べ物ではないのですが、戸棚に入っていた薬の、わかもとが、好きで時々こっそり2~3粒食べていました。

ある日父から、戦時中食べるものがなくておなかがすいて、どうにもがまんできなくて 4人で、医務室のわかもとを、こっそりひと瓶食べてしまったそうです。(えっ それでわたしも わかもと好き??) それが見つかって上官から、スリッパで顔がパンパンに腫れ上がるまで、なぐられた話を聞かされました。それ以来、さすがに食べられなくなりましたが。

それと内緒でこっそり黒砂糖の塊を、よくかじっていました。夜中にひどく歯が痛くなってしまい、それも食べるのをやめました。

好き嫌いがなく、食べることが大好きな私ですが、小さいときから食いしん坊だったんですよね。

もちろんその頃は、食べられないものも多かったのですが、家族や周りの人が、何でも、おいしい おいしいと、食べているのを見ながら、いつのまにか、なんでも食べられるようになっていました。おいしく食べられるって幸なことですよね。


それにしても、長~い年月のほんの数年過した生まれ育った土地ですが、春の花、夏の入道雲、秋の無数の赤とんぼに 赤く染まった夕日、冬の雪遊び などなど、美しい風景は、今も鮮明に心に残っています。(今は、すぐ、なんでも忘れてしまうのですが・・・)

 何年か前に、生まれ住んだところに、母と、姉夫婦、 他界した父の弟夫婦で、旅行に行きました。レンタカーで、ナビをたよりに住んでいた場所を、探しながらくるまを、走らせていくとなつかしいほとんど何も変わらない風景が、そこにはあって、タイムスリップしたような感覚で、すご~く感動しました。見知らぬ土地への旅もいいですが、思い出をたどる旅も、またいいですよね。
                           岩木